時間は平等じゃない
時間はひとつじゃないことを、前に書きました。
ここでは、ひとつじゃない時間から考えられる、人間の時間について考えようと思います。
ここで僕が言いたいことは、人間の時間はひとりひとり平等ではなく、価値も違うということです。
《時間の平等性》
時間は平等だと言われるとき、おそらく24時間は平等だということでしょう。
こういう時、僕はいつもモヤモヤしました。間違ってはいないけど納得できない感じです。
そして気が付いたことは、人間に対して24時間は平等だけれども、ひとりひとりが持つ時間(=寿命)は平等ではないということです。
これに気が付いて、モヤモヤが晴れました!
僕たちは平等な時間の上に、個人の時間を持っている。しかも、その個人の時間は、同じ時点において平等ではない。なぜなら、その時点に時間を持った人もいれば、30年過ぎた人も、もうすぐ時間が無くなる人もいるからです!
この前提であれば、時間は平等ではありません。
《時間の価値の違い》
さらに、私たちの意識付けによって価値も違ってくるのです。
例えば同じ10分でも、試験中と授業中では価値が違いますよね。
こんな風に、何に対しての時間か意識するだけでも価値が異なってきます。
《自分の時間を生きる》
このように考えていくと、自分と他者の時間を分けて考えられると思います。
分けて考えることで、自分の時間も他者の時間も大切にできるでしょう。
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