自由と責任、「しなければならない」より「したいからする」
自由になりたいと
誰しも思うだろう
親からの自由、人間関係からの自由
お金の自由、時間の自由
人は様々なものから束縛されている
本当にそうだろうか
束縛されているようで束縛しているのは
自分ではないだろうか
そうだとしたら、どうすれば自分から自由になれるだろう
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「自分からの自由」
これが一番難しいのではないかと思う。
年を重ねて、経験を積むほどに、自分が思う自分像、他人が思う自分像が出来てしまっているから。
自分はこういう人間だ、これは似合わない、自分らしくない
本当はやってみたいのに、やってもいいはずなのに、らしくないという理由だけでやらないで後悔してしまう。
自分で自分を縛っている、それで自由はないという。
それってなんかさみしくない?
自由が欲しいんじゃないの?
好きなときに、好きな場所で、好きなことができるって最高じゃない。
でもなかなか行動に移せない。
なんでだと思う?
それは自由のために払ってるものがあるからじゃないかな。
未来の生活を自由にするために、今の生活を変えても生きていく責任。
新しいことを始めるために、他人からとやかく言われる覚悟。
仮に失敗してもやり直すための保険。
などなど。
自由になるために、今の慣れた生活を手放して、また一から作っていかないといけないなんて、、、
大変だしやってられない。失敗するくらいなら、笑われるくらいなら、今のままがいいよ。
そうやっているから、いつまでも自由になれないんじゃないかな。
僕は今、髪をしばれるくらいまで伸ばそうとしてるけど、一度決めてやろうと思ったら、意外とやれるもんだと思ったよ。
やりたいもののために、どうしたらいいのか考えるしさ。
伸ばす前は、できないと思っていたけど、できないと思っていたのは自分でそう思っていただけだった。
やり始めれば、楽しいし、やってよかったって思えてる。
接客業だから、普段から身だしなみは気を付けているけど、男で髪を伸ばしてるってそれだけでハンデにもなりうる。
そうしたら、よりいっそう身だしなみは気を付けるし、接客態度も普通以上を求められる。
それだけ、髪を伸ばしていることに対して責任をもっている。
よくない行いをすれば、髪が長い男性なんて一発で分かってしまう。
でも、普通以上のことをして、お客さんに認められれば、印象付けはバッチリだし、営業しやすくなると思ってる。
他人が自分を自由にしてくれるなんて思わない。
自分で自由を目指さないと自由にはなれない。
やりたいことは、やればいい。
そのために必要なことは、自然と受け入れられる。
自由になりたければ、その分責任を持ちなさいなんて言われる筋合いはない。
自由になるために、必要なことをやればいいだけだから。